しかし、当時を知る関係者は今のホーカーフードは昔ほど美味しくないという。理由は一般的に三つあるそうだ: ①ホーカー職人が拘りを捨てた ②当時の技が後継者問題でなくなりつつある ③フードコートの到来。 日本にも共通つる部分があると私は感じている。コンビニが日本の食文化の低迷につながっているという事。もはや、一人暮らしの人は家で料理しなくてもよくなった。すべてコンビニ料理で代用である、今の日本社会に危機感を感じる。お袋の味何処へやら、である。
本題に戻るが、専門家の間では、多くのストールはお金さえ入ってくればいいといった曖昧な考えで、料理に対しての情熱が欠けている。しかも、あるストールでは、ほとんど出来合いのものを購入して、平気な顔をしてお店でうっているそうだ(結構サテー屋などを覗き込むと冷凍ものを平気な顔で袋から出している)。ソースも手作りではなく、市販のものを使用するところは少なくないという悲しい現状である。マレーシアのペナンでは、その辺のチャークェイティオウを注文したら、バナナリーフで出されて感激した。プライドを感じる瞬間だ。シンガポールでは、そのようなお店が少なくなっているのが悲しいかぎりだ。
しかし、ホーカーが全て悪い訳ではない。 今の社会がそうさせているという声も少なくない。凄腕のホーカーの跡継ぎがいないという事が大きな問題だ。長時間労働に加え、カルト的な存在にならない限り儲からないという現実の中、若者はホーカーをやろうとは考えないのである。誰が、週7日間、朝から晩まで、しかも休日もなく働きたいか?
同時に、シンガポール人はホーカーセンターで食べるより、エアコンの効いているフードコートで食べるようになってきた。1985年にオーチャードロード近くのスコッツ・ショッピングセンターに初めてフードコートが誕生した。今では、モールだけでなく、病院や公園にもフードコートが出来ている。このようなフードコートの到来で、若いシンガポーリアンはフードコートの味に慣れてしまったのだという。残念ながら、殆どの若いシンガポーリアンは本当の味が分かっていない。その存在すらしらないと、専門家は嘆く。味のスタンダードが全てフードコートになっているのだという。フードコートの食べ物は全て製造元により工場で作られており、ストールごとの個性というよりは一定の味を重視している。なので、どこで食べても同じ味という訳だ。
若いシンガポーリアンだけではない。今のシンガポーリアンは夫婦でも仕事を優先している為、家で料理する機会がなくなった。いわゆるお袋の味は消えかかっている。更に家で作って食べるより、環境がよくなんでも食べられるフードコートに魅力を感じているのであろう。現実、すごく美味しいとまではいわないが、フードコートの料理は食べれると答えるシンガポーリアンは少なくない。
それでは客の遠のいているホーカーセンターはどうなるの?
マカンスートラのKFスィートーは、今後ホーカー料理人のシンガポール文化への貢献度や芸術性をいかに若者に知ってもらい、憧れの存在にするかがキーポイントという。そして、真っ当な給与を確保してあげなくてはならない。




0 comments:
Post a Comment